LIFE LOG(880 NOTES)

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バンドリと旅行と雑記

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僕がオタクを嫌う理由

どうも。

 

勘のいい人は気付いたでしょう、今日は不穏記事です。なので、閲覧注意です。注意して読んでいいねください。というかマジで不毛な戯言記事なんで、興味ある奇特な方だけ読んでくれればいいです。ちなみにこの記事でいうオタクはアニメオタクの事だと思ってください。ゲーマーとか鉄オタとかドルオタとかそういうのはまた別の話です。

 

 

まず始めに断わっておくとオタク全員死んでほしいとか思ってるわけではないです。いや、人間全員死んでほしいとか思ったりするけど。まあオタク=死ねって思うわけじゃないです。

 

いきなり自分語りしますけど、僕は中3頃(2010年)にオタクになりました。経緯は友達がアニメにハマって、勧められたからです。そのアニメは「舞-HiME」でした。

 

いやなんでやねん。2010年やろ。あなたのその意見は正しい。でも友達は何故か「舞-HiME」にハマり、その時アニマックスで放送していたので僕も見てハマったのです。

 

そっからはデュラララ!と刀語が放送していたので見ました。同時に禁書とかAB!とかとらドラを勧められて見て沼りました。

 

それからは毎日アニメばっか見てました。夏休みは起きてから寝るまでアニメを見ていた気がします。たまにゲーム。その中で、某ゲームでチャット部屋とか作ってアニメの話とかしたりもしててオタクを満喫していました。

 

ある時、そのアニメ部屋にとあるオタクが入ってきたんですよね。彼はまあ相当濃いオタクでめちゃくちゃアニメに詳しかったんですよ。で、彼に色々教えて貰いながらどんどん沼に。

 

まあこの辺の話は詳細を書くといくらでも書けてしまうのでやめておきますけど、とりあえずそういうのがあったので、僕はオタク=その濃いオタクというイメージが定着してしまいました。これがオタクを嫌うきっかけその1。

 

 

その次に、僕が好きな作品について。僕が好きなのはストーリーがしっかりしていることが前提で、それに加えて絵であったり、アニメーションであったり、音楽であったり、プロットであったり、何かしら細かいところでかっちりしている部分があるのが好きなんです。ストーリーがいいのはあくまで前提。そこに付加価値があっておもしろい作品になると考えています。めんどくさいでしょ。自分でもそう思う。

 

だからコンテンツ系の作品ってあんまり好きじゃないんです。いやバンドリは?って言ったあなた。鋭いね。バンドリに関しては結構話してるけど、元々Elements Gardenが音楽を全面監修しているってので興味を持ったタイプです。なので、正直ここまで沼るとは思ってなかったです。

 

話がずれましたが、そういうわけで某ライブとか某マスとか。あぁいうのってなんか違うなーって思ってたんですよね。でも、その時期にオタクってかなり広まったじゃないですか。いやハルヒけいおんまどマギという大きい流れはありましたけど。でもこんだけ広まったのってやっぱ某ライブだと思うんですよ。それはわかりやすくコンテンツ化されていたから。アニメがあって、CDがあって、ゲームがあって、ライブがあって。それを一通り追ってしまえば、それでオタクって言えちゃう。深く知れた気になってしまう。それがしっくりこなかったんですよね。これがオタクを嫌うきっかけその2。

 

 

あとは、これはオタクというかアニメ界の話なんだけど、質より量になってしまったこと。毎クール40本を超えるアニメが放映され続けている。それを悪とは言わないですけど、ライン工場よろしく大量生産されるアニメは必然的に手間暇かけられて作られていたアニメよりも劣りますよね。ライン生産されたものでもいいものはあるっていうのはわかりますけど、手間暇かけられたものはそれだけの思いが籠っている以上勝るっていうことはないと思います。

 

なので、そういう大量生産大量消費の現状を良しとして受け入れているオタクがなんか違うなぁっていうのが僕の中にはあります。これがオタクを嫌うきっかけ3。

 

 

まあ、そういう感じで。僕は元々Trueなオタクと話しながら色々見てきたオタクなので、現状の大量生産アニメを消費するだけ、コンテンツを追うだけ、みたいなオタクが嫌いなんですよね。しんどけ。

 

もう少し突っ込んで言うなれば、オタクというのは凝って凝って凝って、自分の好きなものを追及したり、色々思考して自分の中で考えを巡らせて、1つ自分の中で作品に対する明確な考え方を持つものだと思っています。オタク趣味はまあ二次創作を除けば生産性がない趣味です。ならば、それくらいしなければ趣味として成立しないとも思います。いやまあ脳死で見ることが正解のアニメも存在しますけど。でもやっぱある程度、ここがこう良くて、あそこはこう良いからこの作品は良い!みたいなそういう話はできるべきだと思うんですよ。勿論、ストーリーが云々、あるいは声優が云々っていう視点以外も含めてです。そういう会話が出来ないやつは何も本質を理解してないとしか思えません。いや本質を理解することを放棄してるとさえ言えます。それじゃあダメなんですよ。本質を理解しようとする、それこそがオタクのステータスになり得ると思います。間違ってもグッズに使ったお金の額とかライブに行った回数とかはステータスじゃないです。そんなものは自分の作品に対する愛にはなり得ません。

 

ただ、まあ時代ってのは移り変わるもんで、こういう考えのオタクはもう時代錯誤、古臭い考え方なのかもしれないです。コンテンツをどれだけ消費するか、それが今を生きるオタクに課せられた使命であり、うだうだ語るのは老害なのかもしれません。ただ、僕は消費するだけで終わりたくない。創作者になれないのであれば、せめて消費する際には本質的でありたいとそう思うんです。だから、消費するしか能がないオタクが嫌いだし、しんどけって思うんですよ。

 

今回の記事は別に特定個人について言ってるわけじゃないです。それに、今のオタク全員がこうとも言ってません。勿論僕と似たような考え方のオタクも大勢います。でもマジョリティはやっぱり消費するだけのオタクだと身に染みて感じます。だから、僕はオタクに向かって今日もこう叫び続けるんです。

 

しんどけ。

 

(どうひま)